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お盆 2013

「分からない」……だけど
 
 お盆だからといって、何も特別なことはしないはずの浄土真宗でも、やっぱりお盆は忙しい。忙しい昨年の8月14日のことだった。
 朝からお参りに出かけて、ようやくその日の最後の1軒となった。そのお宅では、お勤めしていると、必ず後ろで、カチャカチャという音が聞こえて来る。
大きなラブラドールレトリバーが室内で飼われていて、お勤めが始まると、奥から出て、仏間にやって来るのが、廊下を進む独特の爪音で分かるのだ。
 ところが、その日はお勤めが終わるまで、その足音が聞こえない。どうしたことかと尋ねてみると、14歳という老齢の上に、夏の猛暑が加わって、相当に衰弱しているのだということだった。
 幼犬の頃、お参りの度に草履を玩具にして噛みまくり、履けなくしてしまったのが昨日のようなのに、いつの間にか老衰するまでになっている。
 翌日は、お盆の最終日。無論その日も多忙で、日暮れにようやくお参りが終わり、やれやれと寛いでいるところへ、電話があった。出てみると、昨日の最後のお宅からだった。「あの子が亡くなりました」。重い声がした。
 14歳で死んだ大型犬は、子どもがいない夫婦にとっては、子どもそのものである。「明日の昼に火葬するが、その前に、あの子のお葬式をして欲しい」と、要請された。それも、人間と同じような葬儀をという依頼である。
 16日の朝。いつもの年なら、お盆明けで、何もしていないときに、法衣が入った重いカバンを抱えて、ラブラドールレトリバーの葬儀に向かった。「人間と同じように」と頼まれて、考えた末に、とりあえず、華麗な七条袈裟を纏うことにした。イヌとして14年の生命を終えた亡骸は、お仏壇の前に横たえられていて、そこで、お葬式のお勤めを行った。



 これで心置きなく、この子を火葬に出来ると、御礼を言われて帰ろうとしたら、夫婦が次の要請をした。その言葉を耳にしたとき、本当に驚いた。
 なにしろ、「毎週、この子の、七日七日を勤めてやって欲しい」ということなのだから。実際、今までに犬や猫の葬儀を勤めてくれという依頼は何度もあったが、中陰までというのは初めてで、ペットの家族化もここまで来ていることを実感した。
 四十九日経って、秋風が吹く頃に行われた、満中陰法要は盛大なものだった。住職として、8月16日以来のことを振り返ってみて、一貫して割り切れなかった思いがある。「やっぱり人間と犬は違うだろう」という疑問である。
 信心がなければ浄土には生まれない、とすれば、「この子」に信心はあったのか。阿弥陀さまの心は届いていたのか。分からない。だから、犬も人間と同じように、お浄土に生まれ、仏となるのかと問われれば、「分かりません」としか答えようがない。
 しかし、1つだけ確実なことがある。夫婦は「わが子」である愛犬の死によって、仏縁に遇うようになった。2人に繋がる何人かもそうだ。
 14年生きて、そうして死んだラブラドールレトリバーは、間違いなく多くの人間を、仏とは何か、浄土とは何かについて、その教えに触れるきっかけを遺して去った。やはり、犬の姿をした仏の化身と思うことにしよう。間もなく、1周忌を兼ねた初盆がやって来る。

   月刊誌「御堂さん」編集長 大阪市北区・光明寺住職  菅 純和
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詳しくは事務局まで。

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テレビ・ラジオでご活躍中の英月さんをお迎えして、華やかに営みたいと思います。

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お盆2012

「笠地蔵」    菅 純和

 全国的にはどうか知らないが、大阪にはお盆は2度ある。8月15日を中心とするお盆と、8月23・4日の地蔵盆である。
 浄土真宗は弥陀一仏であり、阿弥陀如来以外の諸尊を礼拝することはないはずだが、地蔵盆のときの、地蔵菩薩だけは例外扱いされている。
 私の寺では、近在の6ヵ所の地蔵尊を、23日と24日に振り分けてお参りしていたが、その地蔵盆のことを「子どものお盆」と呼んでいた。お地蔵さんの前にむしろが敷かれ、その上に山盛りにお供えされた果物やお菓子をねらって、早くおつとめが終わらないかと、多くの子どもたちが、汗臭い身体を寄せながら取り巻いていた。
 今は、4ヵ所に減ってしまったことより、そうした子どもたちが見られなくなり、大人ばかりのお盆になってしまっていることが物足りなくもあり淋しくもある。
 地蔵盆が、子どもたちのお祭りであった頃に、忘れられない思い出がある。私自身も、確か小学校の低学年だったときだ。絵本で見た、「笠地蔵」の物語に心惹かれた。言うまでもなく、売り物の笠を雪の中で寒かろうと、お地蔵さんに被せて果報を得る話だが、子ども心に、爺さんが羨うらやましくてならなかった。
 思いが昂(こう)じて、とうとう物語の爺さんの真似をした。但し、季節は冬ではなく真夏である。近くにある6体の地蔵尊の中で、5体は木の厨子に納まっているが、裏の堤防の、阪急の鉄橋の傍に立つお地蔵さんだけは露天である。だから気の毒に思えた。
 カンカン照りの直射日光はさぞ暑かろうと、何か日除けになるものを考えた。そうすると、おあつらえむきのものが見つかった。庭のヤツデの葉である。大きさがお地蔵さんの頭部を覆うのに適当である。
 IMGbon.jpg
ある日、実行した。いよいよお地蔵さんに近寄って、ヤツデを被せるときの異様な興奮は、今もはっきりと記憶の中にある。
 そして夜、裏口の戸を叩く音を待った。今か今かと聞き耳を立てていた。今の小学生はどうであろうか。私は、お地蔵さんがご恩返しにと、宝物がぎっしりと詰まった箱を届けてくれるはずだと、本気で信じていた。
 当然、その夜は何も起こらなかった。次の日、お地蔵さんを見に行くと、誰かが外したのか、それとも風に飛ばされたのか、ヤツデの笠はなくなっていた。もう1度試みようという気は、それきり起こらなかった。
 それから長い年月が経って、今、私は住職として、毎年、その露天のお地蔵さんにお参りしている。必ず、ヤツデの笠を頭にのせたときの興奮と、その夜の落胆を思い出す。私に爺さんと同じ結果が訪れなかったのはあたりまえ。雪の中で爺さんがやったことは、無償の行為だった。最初から見返りなんて求めてはいない。一方、私はと言えば、爺さんと同じ宝物が欲しいという卑しい根性だった。欲の深い子どもだった。それも、爺さんと自分との違いが分かるまで相当の時間を要した。
 思えば、あれも欲しいこれも欲しいという、欲の連続であるこの人生。欲深い子どもがそのまま大人になり、今年の夏も、露天のお地蔵さまと向き合っている。

                  月刊誌『御堂さん』編集長 本派 光明寺住職  


会員のご寺院でこのしおりをご希望の方は、残部ございますので事務局まで。
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