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報恩講2011

『報恩講によせて』
              山本攝叡

 今年は真宗各派で、それぞれ宗祖親鸞聖人750回大遠忌の法要がつとめられている。今から50年前、まだ私は中学生であった。当時京都の学校へ通っていたが、本願寺の境内がいつもと違うように飾られているさまが、おぼろげながら印象に残っている。そして次の50年後、私はまちがいなくこの世にいない。
 私の父方の祖母は、大正のスペイン風邪で亡くなっている。大正10年5月22日と過去帳にある。私にとって、「顔も知らぬ」祖母であった。生まれや人柄などなにも知らないが、終焉の地は金沢の下町であった。私の父は数え年でも12歳である。
 幼い父を残して亡くなった祖母の、ただ一つの願いは、一生に一度でいいから、「京都の本願寺にお参りしたい」であったという。

 『慕帰絵詞』によると、覚如上人は21歳のとき、東国(関東)巡礼の旅に出られている。その理由は「本願寺先祖勧化し給ふ門下ゆかしくおぼゆる」からであった。当時まだ、親鸞聖人の直弟たちがかの地におられたのである。人びとに出会い、勧化の地をめぐることによって、聖人のすがたを偲び、それを目の当たりにしたいというのが、東国巡礼の目的であった。聖人に会いに行かれたのである。
 宗教と巡礼は不可分であるが、真宗とて例外ではない。江戸時代、すでに種々の案内書が書かれている。明治から大正にかけて活躍された妙好人たちも、盛んに聖地を訪ねているが、いずれにしてもそれは、聖人のすがたを偲ぶ、聖人を訪ねる旅だったのである。
 有名な赤尾の道宗は、毎朝は我が家で、月一度は寺で、そして年一度はご本山での参拝を欠かさなかったというが、そのときにも、ご真影さまへの「挨拶」と表現している。本山の中心は、やはり御影堂なのである。50年に一度の大遠忌は、その総決算なのであった。
ところで今は、バスや電車、飛行機が使われての参拝であるが、あまりの便利さが、巡礼の意味を見失わせてはいないか。生涯京都へ出ることのなかった「顔も知らぬ」祖母の方が、より身近に、日々聖人のことを慕っていたのではなかったろうか。
 
今、そんなことを考えている。
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